雨上がりの休日。すっかり朝寝坊したので、急いで朝食を食べ食器を洗い、久しぶりの散歩コースへ。

緑がめきめきと伸びている。

東洋医学的に五行論でいうと、今は「夏」、火行の時期である。この時期の特性(五能、五化という)では、「長」ずばり、万物が成長する時期に当たる。恵みの雨を受けて、緑が喜んでいるのが分かる。

もちろん生きものの動きも活発だ。非常に音楽的に鳴く鳥の声。ホーホケキョは有名なところであるが、他になんとも形容しがたい複雑で難易度の高い節回しで歌う鳥がいた。一番近いのは、M.ラヴェルの『ダフニスとクロエ 第2組曲 Ⅰ楽章 夜明け』 のピッコロソロだ。

そういえば、昔あるマエストロが、飲み会だか打ち上げだかの帰りに「作曲家の多くは、自然か女性、そのどちらかからインスピレーションを受けて曲を作っている。」と仰っていた。確かにそうかもしれない。「科学技術の進歩」だとか、「株価の動向」だとか、「社会保障の充実」などをテーマにした曲はない。

私が考えるに、女性とは生命を生み出す特性があるので、こちらも源を辿ってゆけば結局自然という大きなくくりに行き着く気がする。これは出産をしたとかしないとか、子どもが何人居るとかそういう有り無しの問題ではなく、もっと大きな概念で、女性は特性として持っていると私は思う。

中学校の有名な合唱曲、『大地讃頌』でも、エンディングは「母なる大地よ あ~♪たたえよ大地よ、あ~♪」で終わるではないか。父なる大地ではなく、母なのだ。地球だってそう、マザーアースという言葉はあるけれど、ファザーアースは、ない。つまり、自然とは生命を生み出すもの。その大きな枠組みのなかで我々は生を受けて生きているということ。文にしてしまうと当たり前すぎることになってしまうのだけれど。

それを味わう時間や感性を大事にしたい。